隣のおばさんもすなる物理というものを・・・
鳥養映子 山梨大学大学院医学l工学総合研究部
はじめに
「理科や数学は好き.でも理工系への進学はちょっと,,,」という女子高校生は少なくない.その「ちょっと」を乗り越える後押しをしよう,とういのが本稿の主題である.「ちょっと」にもさまざまな理由があろうが,まずは中高生やその親世代に対する情報不足を少しでも解消しようという動きが始まった.
科学・技術の世界の楽しさ,そこで生き生きと活躍している女性達の姿を女子高校生に知らせたい,高校生どうしが将来への夢を語り合いネットワークを作るきっかけにしてほしい,との願いをこめて,2005年8月に,独立行政法人国立女性教育会館(埼玉県)の全面的な協力のもと,合宿研修「女子高校生夏の学校〜科学・技術者のたまごたちへ〜」(以下,夏の学校と略称.)を開校した[1].理工系進学を決めている生徒だけでなく,迷ったり敬遠したりしている方にこそ,多様な理工系の魅力を伝えたかったのである.
日本物理学会の呼びかけで,理工系のさまざまな分野の研究者,大学生,高校教員等22名が自主的に集まって始めたこの学校には,全国の39校から56名の女子高校生が参加し,講演,ポスターセッション・キャリア相談,自由討論,推理クイズなどのプログラムに興じた.この小さな取組から,思いがけず波紋が広がったのである.テレビニュース,新聞,科学雑誌等で報道されると,理工系学部のオープンキャンパスに女子高校生や母親の参加が増え,科学技術振興・人材育成の予算にも反映された.文部科学省委託事業として実施した平成18年度夏の学校には,早々に定員100名をオーバーする申込が集まり,10日目にして募集を打ち切らざるを得ないという反響であった.文部科学省が2006年秋に募集した「女子中高生理系進路選択支援事業」では、関西地区の研究者らによる「女子高校生春の学校_ジュニア科学塾2007 in 関西_(3月21〜22日)」を始め,大学,学会,女性会館等による実験教室,出前授業,ロールモデル提示等,12のプログラムが採択され,北海道から九州まで全国各地で独自の取組が始まっている[2].国際女性技術者・科学者ネットワークが世界規模でいっせいに開催した「理系に行こう! You can do anything !」東京会場(2006年4月)には200人を越える女子中高生と父母が集まり,10分野80人の女性科学者・技術者と将来の進路について熱心な質疑が行われたということである[3].これらの他に,石川県,青森県等,地方自治体が計画した地方色豊かな行事も実施された.
女子高校生夏の学校〜科学・技術者のたまごたちへ〜
平成18年度女子高校生夏の学校(2006年8月17日〜19日,於国立女性教育会館)のプログラムを,企画側の意図を含めて紹介させていただこう[4].前年度の参加高校生からの希望に応えて,2泊3日に拡大して実験・実習を新たに加えるとともに,ポスターセッション・キャリア相談,講演後のディスカッション,感想発表の時間を拡大し,参加体験型プログラムを充実させた.
講演の部「科学・技術の世界の楽しさ」では,20歳代の若手企業研究員から,科学コミュニケーター,技術部門の管理職まで,いろいろな世代,専門分野,職業の講師7名が,科学・技術の世界の楽しさ,夢,自身の履歴や家庭生活などについて講演し,「研究者・技術者の世界はこんなに豊かでおもしろい」「理工系のどの分野に進んでもこういう楽しい世界がきっと見つかる.それを見つけるのはあなた!」という共通メッセージを伝えた.ちなみに講師の男女比率は現実と逆転させている.一方,理工系の学協会等によるポスターセッションでは,それぞれの専門分野の魅力を紹介し,その分野を専攻するにはどんな学科に進学したらよいか,志望大学にその分野があるか,将来その分野ではどんな職業があるかなど,学会ならではのキャリア相談に力を入れた.ブース数は前年の18から29へと増え,34名の専門家が,先端科学の実演を含む展示を話の糸口にして,高校生のさまざまな質問・相談に助言した.
実験・実習では,各学会の協力で.次の6分野の実験教室を開いた:「どうしてわかるの?音声認識のしくみ(電子情報通信)」,「来た,見た,わかった!〜携帯電話の電波から宇宙線へ〜(原子力,物理)」,「生命の不思議を科学する(発生生物,神経科学,分子生物)」,「ペーパーブリッジコンテスト〜少ない材料で強い橋を作ろう(土木)),「雪の結晶の実験〜人工雪を作って見よう(雪氷)」,「プログラミングをしてみよう〜ロボットを動かすためのプログラムは??(大学生企画,明治大学,東京都立大学)」.各自が大型,小型の実験装置を持ち込み,身近なテーマでの導入部から,実験を経て,先端研究のエッセンスまでを2時間で紹介する,密度の濃い時間であった.
例えば物理系の実験,「来た,見た,わかった!〜携帯電話の電波から宇宙線へ〜」では,まず身近な携帯電話の電波や遮蔽を手作りの発光半導体センサで「見る」ことから始め,宇宙線の飛跡をスパークチャンバと手作りの霧箱で観察して見えない電磁波や宇宙線の存在を確かめ,最後に先端の研究者達が挑む現代物理学の課題として,反物質・反粒子のなぞ,宇宙の誕生と未来までを,対話形式で紹介した。高エネルギー加速器研究機構から貸与されたスパークチャンバとカミオカンデで使われた巨大な光電子増倍管が迫力を添えた.3月頃から企画を練り,素核分野7人の新進気鋭の研究者達が,何度も打合せと予備実験を重ねて準備した計画である.いつも誰かが海外での実験や国際会議に世界を飛び回っているという多忙な研究者達が「どうしたら高校生を惹きつけられるか?」,「手作り霧箱で対生成を見せられないか?」とメールで相談し,寸暇を惜しんで集まった.この熱意が通じたのであろう.20人もの生徒が希望して,「女子高校生は物理嫌い?」の不安を払拭してくれた.
夏の学校で欠かせないのが女子学生の活躍である.企画段階から参加した学生達は,「高校生に楽しい思い出を持ち帰ってもらいたい.」,「自分が高校生だったらこんな企画がほしい.」と,我々の生真面目な提案に,厳しい注文やさまざまなアイデアを出してくれた.それらの意見は,講演講師の選定や実験・実習の構想に反映されるとともに,グループ対抗クイズや自由討論など学生だけで企画運営されたプログラムを作り出した.初日の夜は,アトラクション「仲間同士で推理ゲーム」で,理工系学生ならではの頭脳で解決する課題と体力ゲームとを組み合わせて,初対面の参加者のコミュニケーションと仲間意識を高めた.2日目の夜は大学生チューターをまじえた「自由討論」で,グループごとに思い思いの場所で寛ぎながら,高校生活,大学生活,受験,昼間の実験の感動など,深夜まで話こむ姿が見られた.最終日のクイズ大会「サイエンス・トリビアの泉」では,科学技術に因む設問が出され,グループで話し合って解答したあとに専門分野の協力者から解説があるなど,科学の知識を楽しく学ぶ工夫が満載されていた.また,講演「学生からのメッセージ」では,3名の学生,大学院生が,等身大の自分達を紹介しつつ,学生生活,研究生活の楽しさ,理系選択の醍醐味などを熱く語った,
この学校の内容は,科学技術振興機構(JST)サイエンスチャンネルで,オンデマンドで見ることができる[5].参加できなかった高校生にも,「理工系進学と,その先にある科学者,技術者という職業は,女性にとっても魅力的な選択肢のひとつである」というメッセージを伝えることができれば幸いである. また,新聞,雑誌,国外に向けNHK World Japan メWhatユs on Japanモ,(二ヶ国語), およびNHK短波放送「ラジオジャパンフォーカス」(日本語・英語を除く20ヶ国語)でも紹介された.
ロールモデルは隣のおねえさん
この3日間のプログラムは,実に110名(学生29名,講演講師8名を含む,会館スタッフを除く)に及ぶ研究者,技術者,学生,高校教員らの協力で実施された.これを,北海道から熊本まで22都道府県から111名の女子高校生が満喫した.参加者と企画運営者がほぼ同数という内容は,非常に効率が悪いように見えるかもしれない.しかし,付添の高校教員からの「大学の実験教室にはよく参加するが,助手から教授まで女性に会ったことがない.生徒にとって理学部,工学部にこんなに沢山の女性がいることが新鮮だった.」という感想に代表されるように,女性科学者,技術者を間近に見,身近な存在に感じてもらうことが,今の日本の状況では大切なのである.その意味でも,「隣のお姉さん」役でずっと付き添い,研修のガイド,遊びのリーダー,健康管理,心のケアまで担当した29名の理工系女子学生の役割は大きい.
会場には託児室を設け,講演者や企画運営者には,できるだけ家族参加を勧めている.講演者の1人はいつもの学会のように小学生のこどもとともに登壇し,家族全員で参加した講師もあった.休憩時間や懇親会には,家族も参加した.高校生にとって結婚や育児はまだ実感がわかないかもしれないが,豊かな個人生活を楽しみ,時には悩みながら,仕事に取組む研究者の姿に触れて,理工系の女性が特別な存在ではなく,ごく普通の隣人達であることを感じていただけたのではないかと思う.
参加した高校生の学年比は,1年生38%,2年生51%,3年生12%,このうち82%が理系進学希望者であった.50%が進路をまだ決めていない生徒達であった前年と比べて理系の割合が非常に高い.これは浮動層が迷っているうちに,定員超過で応募が打ち切られてしまった結果と考えられる.どのプログラムも好評であったが,特に「実験・実習」と「ポスターセッション・キャリア相談」は,それぞれ81%と69%が「非常に良かった」と回答し,体験的活動と,女性研究者との生の交流への関心の高さが浮き彫りになった.参加者の93%が,科学・技術に対する関心が「非常に強まった」,「強まった」と感じ,「女性が科学技術分野の職業を選択することに対する意識の変化があったか」,「理科分野へ進学後の学生生活に関する意識に変化はあったか」という問いに,それぞれ73%,78%が「前向きに考えるようになった」と回答した.
また,女性教育会館には,前年の参加者から「理学部に合格した.来年は企画側で協力したい.」という手紙も届いて,関係者を喜ばせている.参加した学生スタッフからも、研究者をめざす決心がついた、就職活動でアピールできたなどの、嬉しい報告があったことも付け加えたい.
ACTUA GIRLS
諸外国ではどんな活動が行われているのであろうか? 女性と科学技術に関する国際会議で,日本から「少女たちへの理系進路選択支援−研究者、教師、大学院生の取組み」が報告されると,参加者から「今頃?」と驚きの声があがったそうである[6].このワークショップでは,「少女たちの科学技術に対する興味を刺激する成功事例」としてカナダのActua Girlsの活動も紹介された.
ACTUAは,体験的活動を通じて科学の楽しさや,科学が日常生活の一部であることをこども達に知らせようというプロ不ラムを19年前から展開しているカナダの全国的ネットワーク機関である.年間22万人以上の児童生徒(6〜17歳)が,それぞれの地域で開かれる夏季キャンプ,学内ワークショップ,大学や研究所のアウトリーチ活動に参加している.これらのプログラムに参加したこども達は,83%が科学技術jに対してより自信がついたと感じ,75%が高校で選択科目の科学を履修したいと述べるなど,科学技術に対する態度や行動が大きく変わった[7].現在,全国25の大学,カレッジを地域拠点にして,375のコミュニティにおいて,それぞれ特色あるプログラムを支援し,さらにネットワークを拡大中である.活動は大学やカレッジのActua会員と,約1000人の大学生,高校生ボランティア(2005年の例)で支えられ,企業,政府,個人の経済的支援を受けている.
ところが,1993年から夏季キャンプへの女子の参加が減る一方であった.そこで,9年前(1998年)から女性の参加を増やす会員の取組を助けるための補助教材,研修,戦略など一連のNational Girls Programの開発を始めた.現在,訓練を受けた4000人以上の会員とボランティアが,全国300以上のコミュニティにおいて,女子科学クラブ(年間),女子キャンプ(夏季),女子ワークショップ,キャリアフェアー,その他のイベント等を開催している.全てのプログラムで,好奇心を刺激する体験的活動と,女性指導者との活気あふれる交流の機会が用意されている.これがActua Girlsで,2005年には4,000人,8年間の累積では25,000人以上の女子生徒たちが参加し,さらに発展中とのことである.アンケート調査によれば,女子だけのキャンプに参加した生徒の,参加前の理科に対する自信の程度(低,中,高の分布)は,共学キャンプ参加者と変わらない.女子だけのキャンプへの参加理由はまちまちだが,参加者の多くは女子だけの方が快適で参加・質問しやすいと期待し,参加後にますますその印象を強めている.さらに,女子だけのプログラムの成功は,Actua活動全体への女子の参加比率をも引き上げた[8].
一方アジアでは,韓国物理学会が,2002年から「女子高校生物理キャンプ」に力を入れている.毎年30〜80名の書類選考で選ばれた女子高校生が,3〜4人のチームを組んで全国の大学や研究機関の物理研究室を1週間探訪し,そこで行われている研究について学び,研究者の指導を受けながら基礎的な実験を体験する.その成果を2日間の全国キャンプに持ち寄って発表し,他チームの生徒や女性研究者,女子大学院生らとの交流を深める.優れた発表をしたチームは,国際会議や海外の研究機関におけるキャンプに参加する機会を得る.全国20の大学・研究機関が実習の受け入れに協力している.参加した高校生への直接の効果は勿論のこと,女性が科学に関心を示すこと,物理を学ぶことに対する韓国社会の空気が変わってきているそうである[9].
楽しい体験学習やイベントで理工系への関心を引き上げる活動と,先端研究に触れて専門分野への進学意欲を刺激する活動.これらは車の両輪として相補的に推進して行くのがよい.ねらいや方法は違うが,いずれも対象を女子に絞り,女性研究者や女子学生との生の交流の機会を持つことが,効果を高めていることに注目したい.
長い目で理工系の女子学生を育てよう
夏の学校に参加して「理工系志望に傾いた.」,「来年は大学生.学生企画委員になって,この感動を下級生に伝えたい.」と瞳を輝かせて話す高校生や,自分のことのように熱心に協力してくれた女子学生達の姿に,受け皿としての大学や社会の責任を,いっそう強く感じている.これまで理工系への進学をためらっていた女子高校生がそのためらいを乗り越えたら,我が国は将来の科学技術を担う豊かな人材を得ることになる.少子化と理科離れに対する理工系学部の危機感が追い風になっていることは寂しいが,それもよしとしよう.問題は,入学してきた女子学生が,将来にわたって活躍できる環境を作ることである.
本誌の読者は,学生を性で差別することなど思いもよらないから,特別な配慮は要らないと思われるかもしれない.しかし,いまだに就職の世話は男子学生を優先したり,「こどもができたらまさか続けないよね.」と口にしてしまったりする教員がいるという現実,「技術者に育児休業をとられたらやっていけない.」という中小企業のトップがいるという現実にも,目を向けていただけないだろうか.女子学生や卒業生にとって,キャリアの途中にはまだまだ大小の障壁があるのである.そんなとき,周囲のほんの少しの激励や支援,いろいろな選択肢を示せる相談相手があれば,多くの女性科学者・技術者は仕事を続けていくことができる.
我々は,「ポスドク1万人計画」から,人材育成は受け皿を伴わなければならないということ,それを他人任せにしてはいけないということを学んだ.女子中高生理系進路選択支援事業は,女子学生のキャリア教育の充実,とりわけ相談できる女性教員がいる環境作りと,女性科学者・技術者が活躍できる職場や社会環境の整備の3点セットで推進するべきである.
このような活動には,即効性を期待しないほうがよい.理工系への関心が高まれば物理を選択する高校生も増える.その中で物理を専攻する学生もおいおい増えるだろう.夏の学校に参加した高校生や大学生のこども達の世代には,隣のおばさんが科学者だったり技術者だったりするのが不思議でない,そんな時代がくればよいと思っている.
[1] 「女子高校生夏の学校〜科学・技術者のたまごたちへ〜」,主催:日本物理学会,男女共同参画学協会連絡会,独立行政法人国立女性教育会館,日本学術会議「若者の科学力推進特別委員会」,独立行政法人科学技術振興機構. http://www.nwec.jp/scoop/page05.php
[2]「女子中高生理系進路選択支援事業」採択機関の決定について, 文部科学省,
http://www.mext.go.jp/a_menu/jinzai/001/06101905.htm
[3] 「理系に行こう!You can do anything!」
INWES Japan, http://www.granular.com/cp-bin/blog/files/INWES.pdf,
都河明子, http://www.eng.kagawa-u.ac.jp/~ishii/wg11/0502-INWES_J.pdf
[4] 「平成18年度女子高校生夏の学校〜科学・技術者のたまごたちへ〜」, 主催:文部科学省,独立行政法人国立女性教育会館,男女共同参画学協会連絡会,日本学術会議科学と社会委員会 科学力増進分科会,http://www.nwec.jp/jp/scoop/page35.html,平成18年度文部科学省委託事業「女子高校生の科学技術分野に対する興味・関心の喚起及び進学意欲の向上を目指した合宿型事業」委託業務成果報告書,独立行政法人国立女性教育会館(平成18年10月).
[5] 科学技術振興機構サイエンスチャンネル「科学したい人応援するヨ!(14分)」,「女子中高生夏の学校〜科学・技術者のたまごたちへ〜(29分)」,http://sc-smn.jst.go.jp/ (トップページの検索で,「女子高校生夏の学校」または「カテゴリーで探す」→「イベント情報」).
[6]「少女たちへの理系進路選択支援−研究者、教師、大学院生の取組み」,三浦有紀子,「OECD/CSTP科学技術人材に関するアドホックワーキンググループ「科学技術分野における女性」OECDワークショップ(2006年9月28日〜29日,オタワ)」.私信.
[7] "Effects of a Canadian Science and Technology Summer Camp Program: A Replication of Positive Results Across Three Years", Gail Crombie et al., Proceedings of the 10th CCWEST conference, June 10-13, 2004, http://www.actua.ca/en/pdf/actua/research/Crombie_CCWEST_2004.pdf. Actua Home page: http://www.actua.ca/en/index.html.
[8] "The importance of engaging girls in science and engineering, A study of Actuaユs all-girls camps", 2003, http://www.actua.ca/en/pdf/actua/research/Actua_All_Girls_Report.pdf, ACTUA Girls home page:
http://www.girls.actua.ca/,
[9] "Korean Physical Society Physics Camp for High School Girl Students", Youngah Park, AAPPS Bulletin 15, pp.28-29, 2005, http://www.aapps.org/archive/bulletin/vol15/15_3/15_3_p26p30%7F.pdf.